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大川小学校児童津波被害国賠訴訟を支援する会です。

第6回公判 証人尋問

10月12日午後1時30分、仙台高等裁判所で、控訴審の第6回公判が開かれ、証人尋問が行われました。以下、当日の法廷について報告します。

証人は震災当時石巻市教育委員会で学校教育課長だった山田元郎氏と、大川小学校より上流の大川中学校の教頭だった登嶋紀行氏の二名でした。

山田氏は行政側として、登嶋氏は学校側として学校の安全をまもる責任を負うポジションにあった人です。大川小学校での事故の当事者である山田氏と、直接的な当事者ではないものの、同じ大川地区の教育機関として最も近い場所にあった大川中学校の震災当時の安全管理の責任者である元教頭の立場から、当時の大川小学校の防災対策の状況を、ある程度明らかにすることができる証人であると考えられました。

石巻市教育委員会 元学校教育課長 山田元郎氏の証言

震災当時、山田氏が就いていた学校教育課長とは、学校教育事務の責任者として幼稚園から高校までをカバーし、各校の経営管理および教職員の指導管理を担当する役職です。具体的には、教職員に研修を実施し、各校の教育計画の策定を決済します。この教育計画に危機管理マニュアルも含まれています。

ところが山田氏の証言によれば、教育委員会は防災研修を実施したり危機管理マニュアルを策定するよう指導はするものの、提出された中身や研修の成果の確認は行われず、その機能性の是非は各校の校長先生に任せられていました。理由は各校で状況が違うから、と山田氏は証言。各校から相談があった場合、もしくは各校に指導主事が訪問指導するときまで、危機管理マニュアルを含む教育計画の中身は確認されていませんでした。ちなみに、指導主事が、震災前、最後に大川小学校を訪問したのはいつなのか、山田氏は記憶していませんでした。

この点について、被告側原告側だけでなく、裁判官からも繰り返し、さまざまに厳しく追求されました。しかし、山田氏はとにかく各校の校長がリーダーシップを取って策定するように指導しているのだからできていて当たり前だと“思う”という一点張りの証言を繰り返しました。

その一方で、学校安全の責任者でありながら、学校保健安全法の該当箇所(第3章26条)も、宮城県教育委員会の災害対策要領もまったく把握していない様子でした。

山田氏に対しては、原告側代理人から、「(各校に対して)こうしてもらいたいという願望だけだ」という苛烈な指摘もありましたが、それ以上に、裁判官の質問はさらに厳しいものでした。

潮見直之裁判官が、「仮定の話として、震災前、(大川小学校校区内の)保護者から大川小学校には津波が来るから子どもを就学させたくないという申告があったら、あなたはそれを認めたか」と尋ねたのに対して、山田氏の答えは、「地域の人は津波は来ないといっているし、ハザードマップをみせて、お子さんの安全は教職員が全力で守ります、と伝えるのが基本だ」でした。

「全力で守る」といいながら、実際には各校の危機管理マニュアルの中身はみていない教育委員会でした。では山田氏のいう“全力”とはどういう意味なのか、存在してさえいればいいマニュアルや教育計画を毎年提出させる趣旨は何か、大川小学校の通学区域にハザードマップの浸水域が含まれていたことや、大川小学校のマニュアルに保護者への児童引渡しの有効なルールも周知もなかったことに、山田氏は意味のある回答ができませんでした。

最後に、主として学校行政側の組織的過失を追求する今回の公判の流れをあえて超えて、原告側代理人は「原告の要望だから」と事後対応について質問しました。

震災直後から1ヶ月間、市教委として遺体捜索に協力しなかったのはなぜなのか、生存者の聞き取りメモの廃棄をなぜ承認したのか、上司として承認していないのなら廃棄は部下の勝手な判断なのか、と畳みかけたのに対して、山田氏はただ「答えられない」としか発言できませんでした。

石巻市立大川中学校元教頭 登嶋紀行氏の証言

登嶋氏が危機管理マニュアルを策定したのは、大川中学校に赴任して間もなくの時期でした。近隣の飯野川中学校の担当者である及川教諭が南三陸町から来て、災害対策に経験のある人だったため、そのマニュアルを参考にして策定したというのです。

登嶋氏が書いたマニュアルには、津波のときは校舎3階に避難することが定められていました。「川のすぐ目の前に建っている大川中学校は大雨や台風などの浸水リスクが高く、周りには避難に適した高台がないからそう書いた、石巻市教育委員会とは避難場所について相談したことも指示されたこともなかった」と、登嶋氏は証言しました。

震災当時、地震直後から高台への避難を呼びかけていたはずの防災無線は校内にあったものの、当時聞こえていたかどうかは記憶になく、津波が来る・来ないの判断材料をあらかじめ定めていたかどうかについては明言することができませんでした。

登嶋氏は「浸水対策はあくまで大雨や台風の洪水を想定したもの(=津波は想定外)」と何度も強調しましたが、その反面、過去に出席した危機管理研修や会議の内容をほとんど記憶していなかったり、マニュアルはつくっていても職員室に掲出しただけで子どもたちに周知したり避難訓練を実施していなかったという点では、学校の危機管理責任者としての意識はまったく不充分だったとえいます。

進行協議の後、弁護士会館で記者会見を行い、活発な質疑が行われました。

今後の公判予定

次回公判は、11月14日午後1時半からです。

震災当時の大川小学校柏葉校長、当時の市教委防災担当職員の飯塚氏が出廷し、証人尋問が行われる予定です。できるだけ多数の方に、傍聴に来ていただくようお願いします。

引き続き皆さまのご支援をどうぞよろしくお願いします。

 

(只野英昭)

大川小学校児童津波被害国賠訴訟を支援する会

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