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大川小学校児童津波被害国賠訴訟を支援する会です。

11月14日午後1時30分から、仙台高等裁判所で控訴審第7回公判が開かれ、証人尋問が行われました。以下、当日の法廷について報告します。

 

石巻市教育委員会 元教育総務課課長補佐 飯塚千文氏の証言

最初の証人は、前回第6回公判の証人・山田元郎氏(当時学校教育課長)と同じく、教育行政側の防災担当だった人物です。

まず被告側代理人が、石巻市や宮城県の各種資料数点および震災直前に実施された学校防災関連の研修や会議の実績を提示し、平成21年の学校保健安全法の施行やおよそ37年周期で発生している宮城県沖地震の予測を受けて、市教委側が当時いかに積極的に学校防災にとりくんでいたかを強調する質疑を行いました。

原告側は反対尋問で、市教委の防災対策の不足部分を次々に追求しました。飯塚氏は平成20~22年の3年間、石巻市本庁から教育委員会に異動し、教育総務課課長補佐として勤務しましたが、それ以前の職歴は建設部や産業課など、教育とも防災とも直接関わりのない分野でした。そうした人物が突然、大きな川と海に面した広い石巻市の公立小中学校64校の防災を担当することになったのです。飯塚氏の着任後まもなく新たに施行された学校保健安全法では、「学校安全の責任は設置者(=市)にある」とされていますが、この人事が適切であったかどうかは大きな疑問であることが明らかにされました。

現にこの法律では、学校の危機管理マニュアルは法律に適合するよう策定し、毎年見直すよう定められている点を質したところ、飯塚氏自身はそうした認識はなかったと証言しました。飯塚氏本人が見直したり、学校側に見直したかどうかを確認したことはなく、学校保健安全法の施行前と後でもそのルーティンに変更はなかったと証言しました。

すなわち、前回証人の山田氏同様、学校の防災対策は各学校に完全に「おまかせ状態」で、市教委は、その機能性や実効性などの内容に100%ノータッチだったという点でほぼ同じ証言をしたといえます。

異なっていたのは、各校が策定した危機管理マニュアルの内容にばらつきがあったために、飯塚氏が作成した災害対応マニュアルを参考例として学校安全対策研修会で提示していたことでした。教育にも防災にも特に知見のなかった飯塚氏は、同僚から提供されたりネットで調べたりした資料をもとに参考例を作成しましたが、そこで参照したのは山梨県の災害対応マニュアルだったと証言しました。その理由を問われ、飯塚氏は「わかりやすかったから」と答えました。

山梨県に海はありません。このため、飯塚氏が提示した参考例には津波の項目はありません。その参考例をうけて各校が策定した危機管理マニュアルに津波について記載されているとすれば、それはすべて各校の独自の努力義務によって追加されたということになります。

飯塚氏は、策定にあたって、石巻市のハザードマップを参照するようにとの要請はしなかったと証言しました。学校そのものが津波の浸水域にはいっていようがいなかろうが、通学域がはいっていようがいなかろうが、そこは市教委の責任の範囲ではないという認識だったことを明らかにしました。

いうまでもありませんが、学校を設置するのは教育委員会で、通学域を決めるのも教育委員会です。にもかかわらず、学校とそこに通う子どもたちの安全を守る責任はすべて、各学校に「丸投げ同然」でした。

潮見直之裁判官からも質問

原告側の反対尋問のあと、前回も山田元学校教育課長を厳しく尋問した潮見直之裁判官からいくつか質問があり、災害時に避難所に指定された学校の安全を確認するのは市建設部の役割であったことが明らかにされました。飯塚氏の前任部署のひとつです。つまり、飯塚氏は64校もある石巻市立の小中学校が災害時に安全な場所かどうかを、職務上知りうる立場にいたということになります。

 

石巻市立大川小学校元校長 柏葉照幸氏の証言

柏葉氏は証人として出廷するのは、一審に続いて二度目となりましたが、証言台で、被告側代理人と以下のやりとりがありました。

震災があった2011年2月、河北総合支所職員3名が6月に予定されていた河北地区の合同避難訓練の打合せのため、大川小学校を訪問しています。その際、危機管理マニュアルについての言及はなかったとのことです。総合支所職員からは、避難場所は校庭でよいとの認識が示され、校長が二次避難先について尋ねたところ、職員は想定していないと回答したというのです。校長の「津波は堤防を越えないのか」という質問には、職員は「計算上こえない」と答えたそうです(このとき訪問した職員の個人名および議事録は提示されず)。

また3月11日の大震災の直前、3月9日に震度5弱の地震が発生しましたが、その際、柏葉校長は、危機管理マニュアルの内容について担当職員(教頭・教務主任)と話しあうことはなかったと証言しました。

前年の一学期には市教委の指導主事の学習指導訪問がありましたが、このときも危機管理マニュアルについて指示も言及もなく、学校安全についての指摘は文書でのみ行われたと証言しました。これらの証言からは、一審同様、柏葉校長は当時大川小学校に津波が来ることを想定していなかった、学校職員を含め周囲もそういう共通認識でいたということを印象づけたかった意図が読みとれます。

しかし、原告側代理人による反対尋問では、これらすべてが否定されることになりました。

山田氏や大沼指導主事との会議で、平成22年度の大川小学校の危機管理マニュアルについては、「津波襲来時には校舎2階に避難」と回答したとの記録があります。震災直後のメディアの取材にも、2階か裏山に避難することになっていたと話したことが記事に残っています。震災の年の1月23日の石巻市学校安全対策連絡会では、石巻市の平松危機管理官から「前年のチリ津波の際の避難者が少なかった(=もし津波が大きかった場合の被害が甚大になるから対策が必要)」という総括があったことが、出席した石坂教頭(故人)から報告されたことを指摘しましたが、これに対して柏葉校長は「避難者用のストーブや座布団が足りないという話はした」というものの、職員会議では議題にならなかったと証言しました。

3月9日の地震の後、避難先とする裏山にPTAの助けを得て階段を設置しようという職員室での会話について市教委やPTAに具体的に連絡・相談したかを質問され、柏葉証人は、最終的には「そこまで詳しく話したわけではない」と回答、そうした会話があったこと自体は認めたことになります。

柏葉校長には、大川小学校に5メートルをこえる津波がくると保たないという認識があったこともメディアの取材・記事で明らかになっています。理由は学校の前の堤防が5メートルだったからとしています。

これらを指摘した原告側代理人の質問に対し、柏葉元校長はすべて「記憶にない」「覚えていない」「(教職員と議論)しなかった」「聞いていない」「認識していなかった」とのみ答え、それ以上の追求には口をつぐむばかりでしたが、一審で押し通した「大川小学校に津波が来ることは想定していなかった」という認識は、この問答によって覆されたことになります。

柏葉校長が誰かの責任について認めたのはたった一点、災害時の保護者への児童引渡しについての質問のときでした。前任の教頭(学校安全の学校側の担当者)が作成した防災用児童カードが校内の金庫に存在していましたが、柏葉校長の着任以降、記入・回収が行われていなかったことへの質問に対して、ただひとこと「私の落ち度です」とのみ発言しました。しかし、理由については明言を避けました(「認識していませんでした」)。

地震発生時の児童引渡しについては、震度6弱以上の場合は引渡すと着任以前から決まっていたと答えましたが、震災直後の聞き取りでは「津波警報の発令中は引き渡さないことになっていた」という証言が残されており、この点は矛盾しています。

大川小学校の通学域には津波発生時の浸水域が含まれていました。校区内でももっとも海沿いの尾崎と長面で、この方面にはスクールバスも運行しています。この点の質問に対して、柏葉校長は、災害時にスクールバスがどう運行するかは決まっていなかったと証言しました。しかし、着任したその年に尾崎・長面周辺に環境確認で訪問していたため、状況は把握していたと考えるのが自然です。しかし、原告側から何度その点を追及されても、校長は「津波の来る方には行かず、学校に戻ることになっていた」とのみ繰り返しました。

震災前日前々日には地震が何度もありましたが、9日には校庭に避難した後、教室で待機し、いつも通り下校させています。そのときは津波注意報が解除されたかどうかの確認はしていないと回答しました。

柏葉校長は、震災当日11日の休暇届を、前日の10日に出しています。しかし、不在中に地震があった場合の引継ぎはしていないと証言しました。当時それほど地震が繰り返されたことについては、「覚えていない」と発言しました。

潮見裁判官は、大川小学校は津波の浸水域ではないが、洪水の浸水域であることを指摘した上で、「津波は地震によって起こる。ということは地震で堤防が損壊した場合、そこに津波が来たら学校が浸水する危険性があると考えられるのではないか」と尋ねたのに対して、柏葉校長は「考えたことがなかった」と回答しました。

 

記者会見

公判終了後、弁護士会館で、いつものように記者会見が開かれました。以下はその主な内容です。

河北新報

Q. 河北総合支所職員との会話が証言として登場したことに驚いた。校長に津波の危険性の認識があったことがうかがえるのでは。

A. 河北総合支所に責任を押しつけている。

Q. 裏山への階段の件で、実際に打診を受けた人物がいるのか。

A. いない。

Q. 3月9日の地震の際に保護者から(引渡しについて)問合せはなかったという証言があった。

A. 実際には、引渡しの連絡を受けた河北幼稚園の保護者から、1年生の兄弟の引渡しについて問合せがあったことが聞き取り調査で判明している。偽証にあたる。

 

朝日新聞

Q. 来週の進行協議で遠藤教諭の証人出廷はありうるか。

A. 不明。1月23日の件も、打診があっただけ。

Q. 危機管理マニュアルをチェックしていないだけでなく、見直しも点検も周知も学校の責任とした証言は。

A. 懈怠の程度が低いことを自ら立証した。文科省の学校安全保健法の通達には毎年度見直すよう明記されている。

 

NHK

Q. ハザードマップを知っていて対策しなかったということになるのか。

A. 結論としてそうなる。

Q. 3月9日の津波注意報解除を確認せずにバスを出したことは議論になっているか。

A. 一審でも議論した。

Q. 「津波が来る方に(バスは)向かわない」という話は誰としていたのか。

A. 今回初めて出た証言。前回の公判でも長面・尾崎の件は言及されたので、回答を事前に準備するよう指示があったのではないか。

 

時事通信

Q. 堤防が決壊したら大川小は浸水するという潮見裁判官の踏み込んだ質問は、今後の解釈に影響するか。

A. われわれはこれまでもそう主張している。昭和53年の地震では北上川の堤防にも亀裂が入ったという記事がある。堤防の強度が保たれたまま津波が来るわけではない。そもそも堤防は上流から下流に向かって水が流れることを想定して建設されているため、逆方向の力には脆弱になる。

 

林衛氏(富山大学)

Q. 河北総合支所との会話についての証言は、「津波は想定外だった」という認識を通したいとための演出ではないか。

A. 仮に実際にあったやりとりだとしても意味はないし信用できない。もしほんとうなら一審で出てこなくてはならない証拠。事実認定ができない。

 

女性自身

Q. 9日に地震があって10日にも余震が続いていたのに、11日の休暇届を出したことで、監督責任は問われないのか。

A. まったくその通りだ。大川保育園では、午睡の際には枕元に靴をおいて、いつでも飛び出せるように備えていた。揺れている間にも避難行動を開始するのは厚生労働省の指導。それと小学校1〜2年生とどこが異なるのか。安全を軽視している。こういうときに校長は休むべきではないし、休むなら相応の備えが必要だ。

 

今後の予定

進行協議:11月20日午後1時半〜

次回公判は未定ですが、2018年1月23日午後1時半から時間を確保するよう裁判所から要請がありました。

引き続き皆さまのご支援をどうぞよろしくお願いします。

(只野英昭)

大川小学校児童津波被害国賠訴訟を支援する会

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