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大川小学校児童津波被害国賠訴訟を支援する会です。

意見陳述書

平成30年1月18日

今野 浩行

「なぜ、僕たちは死んだの・・」「なぜ、先生は助けてくれなかったの・・」「誰が悪かったの・・」亡くなった74人の命が問いかけます。子供達の命を守ることができなかった私たち大人は、7年という長い時間をかけても子供達の問いかけに答えを出せずにいます。

私たち遺族は、その答えを司法の場に求めました。唯一あの校庭で何が起きていたかを知る大人であり、先生でもあるA先生の証言を聞き、真実を明らかにすることが裁判の大きな目的の一つでもありましたが、残念ながら裁判の場でA先生に話を聞くという私たちの願いは叶いませんでした。

しかしながらこの裁判を通して、最優先されるべきはずの子供の命を軽視する組織の体質が明らかになり、まさにその体質こそが『大川小学校の悲劇』を生んだ最大の原因であることを、私たちは確信することとなりました。

あの日大切な子供の命を救えたのは、家族でも地域の人でもありません、現場にいた先生方でしかないことは火を見るよりも明らかなことです。子供の命を救わなければならなかった先生が、子供の命を救えなかったことが直接的な原因であることは揺るぐことのない事実なのです。しかしその先生方も、教育委員会の管轄する学校組織に殺された被害者であることに間違いはありません。

○○校長(当時)が危機管理意識の低い校長であったことは、本人も認めています。平時において校長は、初めから実行する気のないマニュアルを、市教委に提出するためだけの目的で作成していました。当然のことながら、あの日マニュアルは機能せず、悲劇を生む最悪の結果につながりました。関係者の証言から学校主導で何一つ意思決定されず、混乱していた現場の様子が見て取れます。そのことが原因で避難の決定が遅れ、裏山には避難せず、防災無線や広報車が言う絶対に近づいてはならない津波の来る方向へ子供たちを誘導するという、生死を分けることとなる重大な判断ミスが生じたのです。更には児童の帰りを自宅で待っていた多くの家族も犠牲となりました。あの日学校にいた先生は動かなかったのではなく、混乱し動けなかったのです。本来の目的の通り、万が一の災害に備えきちんとマニュアルが整備され、周知徹底されていれば現場は混乱することはなかったはずです。先生たちが動けなかった原因は、まさしく校長の平時における安全を軽視した学校運営の結果そのものなのです。

私たちは校長を選ぶことも出来なければ、校長の人となりを知る術もありません。それでも私たちは学校を信じ、子供を学校に通わせるしか選択肢はないのです。東日本大震災において、学校管理下で津波から児童の命を守れなかった学校は大川小学校だけです。○○校長の学校だけが、あの津波から子供の命を守れなかったのです。残念なことに校長の危機管理能力の差が、子供たちの生死を分ける結果につながりました。もしも○○校長以外の人が、大川小学校に校長として赴任していたら74名の命は失わずに済んだのです。

人間の能力は一定ではありません。しかし、校長の能力の差によって子供の命の重みが変わることは絶対にあってはならないことです。明らかに校長の能力の差によって大川小学校の悲劇は起こりました。管理とはバラツキを知ってバラツキを抑えることを言います。学校間で、子供の命の重みに差が出ないように管理し、指導監督することが教育委員会の責務であり、それを怠った教育委員会こそ「大川小学校の悲劇」を起こした主導者に違いありません。しかし教育委員会は、「マニュアルについては、校長の責任の下、適切に作成され実施されている前提であり、提出された時点できちんとできていると思い込み、中身の詳細までは確認をしていない」と、マニュアルの不備に対して関与を否定したうえ、会議での呼びかけや研修会の開催など自らの正当性を強調し、教育委員会の責任を否定する旨の証言をしました。控訴審において平常時の備えの不備が認められた場合を考え、現場の校長に全責任を押しつけようとする教育委員会の証言は、正にトカゲのしっぽ切りそのものです。

宮城県で津波の浸水被害をうけた64校の校長を64枚のカードに例えたとします。その中で○○校長という、たった1枚あるジョーカーを引かされ、ババ抜きに負けた大川小学校は運が悪かったというしかありません。しかし子供の命は運が悪かったでは済まされない問題なのです。校長というカードの中にジョーカーは存在してはならないのです。しかし現在の制度においてジョーカーは確実に存在します。そのジョーカーを見つけ出し、悪さをする前に排除するか、切り札に変え使えるように指導監督することが、学校を統括する教育委員会の責務であると考えます。ジョーカーがなければババ抜きは成立しません。ゲームとして成立させないようにすることこそが、教育委員会の存在する意義ではないのでしょうか。しかし教育委員会は、ジョーカーと知っていながら見て見ぬふりをして、好き勝手させ、何も手を打ちませんでした。その結果、ゲームは成立し、あの日を迎え“悲劇”を生む結果につながりました。そんな校長として存在してはならない、無責任な柏葉校長というジョーカーを産み育て、更には野放しにし、ババ抜きというゲームを成立させた教育委員会こそが、事件発生の黒幕であり主導者であることに間違いはありません。

事件発生後、石巻市教育委員会はあらゆる手段を使い、自分たちに都合の悪い事実を隠そうと必死でした。証拠隠滅のため聴き取りのメモを廃棄し、○○校長やA先生にうその証言を強要し、自らに責任が及ばないように事実を自分たちの都合のいいように改ざんするという暴挙に転じました。事実を無かったことにしようと遺族説明会を打ち切るという強硬手段をとりました。裁判を有利に進めるために、5,700万の税金を投じ、結果ありきの第三者委員会を立ち上げました。信じられないことに、事後対応のすべては保身の目的のためだけに教育委員会主導で行われたことなのです。

学校には子供の命を守る先生という特別な教育を受けた安全のプロがいます。学校は、何があっても子供の命を守ってくれる、そういう目に見えない信頼関係のもと、保護者は大切な子供の命を学校に託します。あの日大川小の保護者全員が、学校にいる子供の無事を信じて疑いませんでした。しかし石巻市教育委員会は、私たち遺族に対して、子供たちが死んだことは未曽有の大震災で仕方がなかったと主張し、亀山紘石巻市長に至っては「自然災害における宿命」と発言し天災で仕方がなかったと結論付けました。

全国には震災前の大川小学校の保護者のように、学校は子供の命を守ってくれると誤解をしている保護者がたくさんいます。証人尋問での裁判官とのやり取りの中で△△教育課長は「子供の命は学校が守ります」と明言することができませんでした。初めから子供の命を守る気が無いのであれば、せめて就学時に「学校では子供の命は守れません」との説明があってしかるべきではないのでしょうか。大切なものを失ってからでは遅いのです。命にかかわることです、後出しじゃんけんは絶対に許すことはできません。

1審の判決後、石巻市の亀山市長は、自身が大川小学校の裏山に登ったことが無いにもかかわらず、裏山は登れない山だったと自らに都合のいい見解を示し、津波の予見可能性と教員の結果回避義務違反を不服として控訴を決定しました。石巻市の控訴決定後、宮城県の村井知事は、河川の堤防に避難したことはベストな選択だったとし、専決処分を行使し独断で控訴を決めました。このように人の命を軽視し、保身のためならつじつまが合わないことを平気で発言する行政のトップの姿勢こそが、この悲劇の元凶にあると断言致します。組織はトップの姿を映す鏡です。子供の命の重みよりも保身を優先する行政の両トップの下部組織は、命と向き合おうとしない、命を軽視した組織となることは当然のことなのです。そんなトップの姿勢こそが学校管理下で子供の命を守れなかった唯一の学校を、宮城県の石巻市から出す結果につながったのだと確信いたします。

昭和58年5月26日午前11時59分、秋田県沖を震源とする日本海中部地震が発生し、遠足中の旧合川南小学校の児童45名が津波に呑まれ、13名が死亡するという痛ましい事故が発生しました。教師は地震が発生したにもかかわらず児童を海岸へと引率し、昼食をとっていたときに津波に襲われたものでした。2015年5月、私は三十三回忌の法要に参加し、旧合川南小学校の遺族と話をする機会をいただきました。事故の直後、教育委員会や学校は責任を認め謝罪をしていましたが、一転責任を認めない態度に変り真相もわからないまま説明会も打ち切られたそうです。そんな当事者の対応に多くの遺族は心が折れ、泣き寝入りするしかなかったそうです。それでも納得のいかない一部の遺族が提訴しましたが、判決を待たずに和解となり事故の真相は分からず、責任の所在も明らかにはならなかったと、当時の様子を悔しそうに話してくれました。事故の内容や当事者の無責任な対応は大川小学校で起ったことによく似ています。時間の経過とともに事故の記憶は風化し、事故があったことすら忘れ去られる現状を目の当たりにし、また老いていく遺族の姿が、未来の大川小学校と自分の姿に重なります。この事故を宮城県と石巻市が、学校防災の教訓にしていれば「大川小学校の悲劇」が防げたかもしれない、そう思うと残念でなりません。

この裁判の判決が未来の命を守ることにつながることを信じて疑いません。この裁判は、どんな結果が出ようと今後の学校防災に大きな影響を与えることは必至です。教訓にするためには司法の判断が必要不可欠なのです。

「死にたい、早く迎えに来い」弱音を吐く自分に対して「親父しっかりしろや、なに眠たいこと言ってんのや」「死ぬごって、ちゃんとかたつけてから死ねや」大輔の激が飛びます。その言葉にふと我に返ります。私は絶対にあきらめません。大川小学校で何があったかを検証し、大川小学校の悲劇を二度と繰り返さないことが我々当事者の責務であり、そのことが74名の子供たちがこの世に生を受け、たとえ短い時間でも確実に生きていたという証になると信じています。

ニュースでは、冬休みが終わり始業式の様子が報道されています。私は不安でいっぱいになります。教育を受ける権利という大義のもと、子供たちは命の保証のない、親の目の届かない学校管理下という安全であるというイメージだけが先行する、危険な環境の中に身を置く生活が始まるのです。必ずしも学校は子供の命を守ってはくれません。ただただ何も起こらないことを願うばかりです。

私の息子大輔は、震災当時小学校6年生でした。自分は長男の大輔に対して、かなり厳しく接してきたつもりです。生前妻には、何でお父さんは俺に対して厳しいの、俺を嫌いなのと涙ながらに訴えていたそうです。恐らく親父を大嫌いなまま、死んでいったのだと思います。想像できませんが、小さいころのイメージしかない大輔も、生きていれば今年の11月で20歳を迎えることになります。まだ、自分がきびしく接してきた理由は、大輔には理解できないと思います。もう永遠にその日が来ることはないのです。親父を嫌いでもいい、今となっては、ただ生きてさえいればと願っても後の祭りなのです。

大輔が大人になったら一緒に酒を飲み、腹を割って男の話をすることが私の夢でした。裁判官の皆様、どうか私のささやかな夢をかなえてください。大輔の誕生日には墓前に酒を供え、大輔の納得のいく判決を肴に一緒に酒を酌み交わしたい、そう願っています。

以 上

大川小学校児童津波被害国賠訴訟を支援する会

吉岡和弘法律事務所 内

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TEL 022-214-0550

あのとき、大川小学校で何が起きたのか

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